◆白洲信哉『白洲家の流儀』を読み解く
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白洲信哉氏は、白洲次郎の孫。
現在は、文筆活動を行っている。
※要旨
・祖母、白洲正子はいわゆる「サービス精神」のない人だった。
移動しているタクシーの中でも道の指示以外は無言で、自分が何か思ったときに「あら、あれ素敵ね」というくらいだった。
これは一貫した家風のようなものだった。
・僕の中に白洲家のDNAと呼べるものがあるとすれば、それはせっかちなところだろう。
どこに行くにも、何をするにも、とにかく先を急ぎたくなる。
そんな性格は、祖父の白洲次郎から受け継がれたようだ。
なにしろ次郎のそれは筋金入りで、いろいろなところで「被害」にあったという話を耳にする。
たとえば、半蔵門にあった『三城』という蕎麦屋もそのひとつだ。
店の主人によると、予約もせずに突然来る。
そして、店の戸をガラリと開け、自分の席が空いていないと、そのままピシャリと閉めて帰ってしまうというのだ。
・せっかちといえば、僕がまだ鎌倉に住んでいたころ、次郎は月に一回くらいのペースで遊びにやってきて、夕食をともにした。
ただし、それは夕方到着して慌しく食べ、風のように帰っていくという次郎らしい訪れ方だった。
・僕たちの食事は、外食も多かったが、我が家で食卓を囲むこともたびたびだった。
家で食べるときは、決まって次郎が食材を持ってきた。
食材といっても半端な量ではなく、帝国ホテルでブロックのローストビーフや、チキンを2羽、大量のチーズなど、
山のような材料をメルセデスのトランクに詰め込んでうれしそうにやってくる。
夕食が終わると、「またな」と簡単な挨拶をしてさっさと帰って行った。
・好き嫌いがはっきりしている分、好きになるまでは素っ気ないのが白洲家の伝統だが、訪れる客に対しては心からもてなすのが、家風のようなものだった。
特に正子の「もてなし」は、茶の湯の「一期一会」の精神に通じるものである。
・貴族の生活など知る由もないが、祖父の次郎を通じて感じたことは、目立たないことに美徳を求めるイギリス貴族たちの姿だった。
控えめに振舞うことを「粋」とする彼らの行動は祖父に多大な影響を与えたが、それは親友のロビンさんからだった。
※コメント
白洲次郎のファンになることは、欧米への憧れであるという意見もあるが、やはり彼はかっこいい。
日本の粋と、英国のスマートさが見事に融合されている。
いろんな面で、見習いたいものである。
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