◆津本陽『陸奥宗光、荒ぶる波濤、幕末の快男児』を読み解く
※要旨
・陸奥宗光の父、宗広は幼い頃、周囲からとりわけ賢明であると見られていなかった。
四書五経の素読を習っても、きわめて覚えが悪く、学塾の同輩に遅れをとったからである。
だが町の本屋に学べられている物語は、なんでも片っ端から手にとって買い、たちまち読み終えた。
太閤記、源平盛衰記、太平記、漢楚軍談、三国志など、一度読むと話の筋、登場人物の名前をすべて覚えこむ。
・1844年、陸奥宗光は生まれた。
広大な屋敷には人の出入りが多く、にぎやかである。
宗光は、大家族の中でさまざまな刺激を受け、成長していった。
父・宗広と言葉をかわすことも多い。
宗広の明敏な資質が、宗光の身内に伝えられていった。
・織田信長が孫呉の兵法をまったく学ぶことなく、戦場にのぞみ破天荒の対応をあらわし、
人心掌握、理財のすべてに長じ、天下統一を推し進めた頭脳は、
父信秀、祖父信定からの耳学問によるといわれる例もあるのだ。
・宗光は武士としての基本となる本格的な学習をうけるまえに、和歌山城下から放逐された。
彼はその後、手当たり次第に書物を読み漁り、独学をしてきた。
そのため、ひとりで物事を判断し、ひとりで実践していく経験を重ねた。
・やがて海軍操練所に入った宗光は、オランダ語、数学、航海術、機関学など、
学問の分野でおそるべき才能をあらわしたが、撃剣、柔術にはまったく興味を示さなかった。
・薩英戦争のとき、英国海兵隊は上陸して鹿児島城下を占領するつもりであったが、
結局、一人も上陸せず引き揚げた。
開戦のまえに旗艦ユーリアス号に交渉にきた薩摩武士たちの、火を噴くような殺気を怖れたのである。
・航海にもっとも必要なのは数学であった。
算術、代数、幾何、三角函数、平面三角法、球面三角法、対数などである。
数学を修めていなければ、天体観測によって船の位置、速力などを割り出す、
六分儀を用いることができない。
・陸奥宗光は、亀山社中を離れて自活するため、長崎のアメリカ人宣教師のもとに
ボーイとして雇われ、その妻から仕事のあいまに英語を学んだ。
彼は数ヶ月のあいだに、読み書き、会話の基礎を覚えこんだ。
彼は五代友厚が英語を流暢にあやつり、グラバーの信頼を得ているのを見て、
英語を修めなければ今後の発展はないと見えていた。
・宗光は、父宗広失脚以来、浮沈の激しかった過去の歳月をふりかえり、
前途いかなる苦難があっても、勝海舟、坂本龍馬ら先輩の不屈の闘志に遅れをとらないよう、
努力をつづけようと、心に誓った。
※コメント
陸奥の前半生をつづったのがこの本だ。
青年時代も波乱万丈の人生である陸奥は、その後もさまざまな経験をする。
改めて、どんなことにもへこたれてはいかんと学んだ。
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