◆大久保治男『埋木舎:井伊直弼の青春』を読み解く


※要旨


・大老の井伊直弼公は誰でも知っている歴史上の人物だ。
しかし、最初から彦根藩や大老にになる「お世継ぎ」ではなかった。


・彼は1815年、彦根藩主井伊直中公の十四男坊として誕生、
5歳で母を、17歳で父を失った。
嫡男以外は養子にでるか、わずか300石の捨扶持で城を出て生活するかが藩の掟だった。


・彼は17歳から32歳に至るまでの15年間を藩の佐和口御門前の公館で過ごすことになった。


・直弼公はこの公館を、
「世の中をよそに見つつも埋木の埋もれおらむ心なき身」
(自分は世の中を横目に見て、質素な世捨て人的な生活をしているが、
心は決して埋もれていないぞ、大いに修業して人格を陶治するぞ)
という和歌を詠じて「埋木舎(うもれぎのや)」を名付けた。


・直弼公は「茶・歌・ポン(チャカポン)」というあだ名があった如く、
茶道、和歌、ポンは謡曲・鼓の達人の域であった。
また国学、書、画、焼き物、禅、仏教などにも武術のほかにも長ぜられた。
「文化人・直弼」の精神の醸成と文武両道の修養、陶治が埋木舎で形成された。


・この埋木舎での直弼公の人格形成の偉大な基盤があったればこそ、
弘化3年に兄・直亮公の養子になったあと、
藩主、大老職として命をかけて国難を救う大器量が発揮された。


・直弼の埋木舎における勉学は、上記に加え、華道、数学、天文学と文化人の側面と、
兵学、剣術、槍術、弓術、馬術、居合術、柔術、政治、海外事情など、
武人としての側面の両面とも精通し、実力も相当のものであった。


・直弼は埋木舎において青春のエネルギーを勉学と修養にぶつけた。
夜は4時間眠れば十分だといい、広範囲にわたって、超人的に修養、研究した。


・直弼の崇高なる人格と高邁なる見識と自己の正しい主張をつなぬく強い精神力は、
まさに禅の心によって練磨された。
後日、開国を断行し国難を救う決断力も、師事した仙英禅師の影響が強かったともいわれる。


・直弼の茶道は、精神主義を中心とする真の茶道であった。


※コメント
評価のわかれる井伊直弼は魅力的だ。
たとえ悪名高くとも、出世し、歴史に名を残す人は若い頃、激しい修行をしていたようだ。



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