◆福冨健一『東條英機・天皇を守り通した男』を読み解く



※要旨


・戦争は、その国の育んできた歴史を凝縮する。
その国のインテリジェンスの総体であり、
ヒューマニズムの総体でもある。


・事実、大東亜戦争を戦った東條、ルーズベルト、チャーチルは、
それぞれの国の最高の教育を受けて育った。
いいかえれば、東條と向き合うことは、
日本の国柄と向き合うことでもある。
そして東條と向き合うことは、今の日本の素晴らしさを知ると同時に、
日本の抱える課題解決に向けての示唆を得る手段でもあるのだ。


・東京裁判での、静かに証言台に立つ国民服の東條の姿は、
語らずとも連合国の判事たちを圧倒する迫力を持っていた。
しかも、その表情には武人のみが到達できる穏やかさと威厳があった。


・マッカーサーは、東條証言によって世論が東條に味方し、
東京裁判が中止に追いやられることを恐れた。
東條の迫力、器量は、マッカーサーさえも小さく見せたのだった。
東條の器量は戦いのときは敵を圧する迫力になり、
しかし、普段は人を包み込む包容力になる。


・東條夫妻のように戦犯裁判に立ち向かった人々を調べると、
そこには日本人の夫婦の原風景があるように思えてならない。
たとえば、マニラ裁判に立ち向かった本間雅晴中将の妻、富士子も、
東條かつ子と同じように「Love&Serve」に生きた。


・夫を救うため法廷に立つ和服姿の富士子は、
法廷にいる判事や弁護人、新聞記者に感銘を与えた。
法廷で弁護人のコーダー大尉が、富士子に尋ねる。

「あなたの目に映る本間中将とは、どのような男性でありますか」

髪を後ろ手に結い、凛とした富士子の姿は、
女性としての品格さと強さを感じさせた。
富士子の静かな証言は聞く人に、
夫を信じ動じることのない信念を感じさせた。

「わたくしの主人は、米国では人にして人に非ず、
と申されているそうでありますが、
わたくしは今もなお、本間雅晴の妻であることを誇りに思っております」

「わたくしに2人の子どもがおります。
娘は今19になりますが、いずれは家庭を持つことになりましょう。
そのときは本間雅晴のような男性とめぐり合い、
結婚することを心から望んでおります。
本間雅晴とはそのような人でございます」


富士子の証言は1時間余り続けられたが、
傍聴席からすすり泣く声が聞こえた。
そのときの写真を見ると、
本間中将は白いハンカチをくしゃくしゃにして、
目を覆っている。


・東條は首相になるや、
日米交渉妥結に向け天皇のご意志に沿うよう、
全霊を傾け邁進した。
東條は「真摯に平和の道を探求」し、
これを「陛下も十分お認めになっていた」という。


・第二次世界大戦はインテリジェンス戦争でもあり、
イギリスは大戦中、暗号解読のために3万人もの人員を投入し、
ドイツの暗号「エニグマ」を解読している。


・国家情報にたずさわる人々は、
欧米では「ベスト・アンド・ブライテスト」
として尊敬される。


・20世紀の戦争史は暗号戦争の歴史でもあり、
インテリジェンス活動こそが外交史、戦争史の核心なのである。


・日本のマスコミは、課題が多い。
そこには、イギリスのBBC放送のように、
世界的な視野を持ったニュースキャスターによる
落ち着いた内容や分析は存在しない。
日本の報道は、日本国民のみが見ているのではなく、
世界の人々も見たり読んだりして日本を評価しているのである。


・私は、歴史博物館のようなロンドンの街並みを眺めるたびに、
何世紀ものあいだ変わらずにある、
冷厳な質感のある街並みに鳥肌の立つような魔性を感じる。
イギリスの強さは、公式、非公式の国際会議をいつでも開いている
魔性を秘めた、このロンドンの街そのものにあるのではないかとさえ思う。
このロンドンで行われている非公式の国際会議こそが、
外交の前哨戦なのである。


・東條は国家の命運を背負い、3度の戦いをしている。
最初の戦いは、「戦争は外交の延長」といわれるように、
和平のための日米交渉という外交の戦いである。
次は、大東亜戦争。
最後に、東京裁判での戦いである。


・アメリカから武器や資金の援助を受ける蒋介石、
中国におけるコミンテルンも、
日米交渉の成立は断固反対であり日米開戦を望んでいた。
すぐれた諜報組織を持つイギリスのチャーチルは、
日本が開戦に踏み切ることを事前に知っていた。
チャーチルは情報官が手を加えた諜報情報ではなく、
側近のデズモンド・モートン少佐が選んだ、
重要文書を原文のまま読んでいた。


・特攻隊戦隊長の村岡英夫少佐は、次のように記している。

「戦中、戦後にかけて、特攻隊員へのいささかあやまった観察は多い。
特攻隊員とても、すべて生身の人間であり、
悟りの境地にたったような透徹した死生観は、
持ちあわせていなかった。
死を恐れないなどという者もいなかった。
ただ、あったものは、祖国が未曾有の危機に直面している現実と、
われわれ若者が、
この祖国と民族の危難を救わなければならないという義務感であったろう」



・敗れはしたものの、日本はよく戦ったのである。
この敗戦の教訓は、本来であれば正当に評価されるべきであろう。
米英中ソという大国を敵にして3年8ヶ月ものあいだ戦い、
そして、ドイツのような「無条件降伏」ではなく、
ポツダム宣言による「条件降伏」で戦争を終えるのである。


・古典的名著『大東亜戦争全史』を執筆し、
陸軍作戦課長を務めた服部卓四郎は、
「この大東亜戦争は、もとより深刻な反省と教訓を残している。
朝野をあげて真剣に検討し、
日本再建の方途を誤りなかりしむことが、
またもって戦争犠牲者に対する供養でもある」


・東條の姿を巣鴨プリズンのなかから見ていた笹川良一は、
「東條尋問のためにキーナン君は馬脚を露し、
東條を英雄にした」
と東條を絶賛している。


・また大本営情報参謀で元陸自幕僚長の杉田一次は、
「東京裁判で最後まで堂々と日本の立場を主張したのは、
東條元総理ひとりではないか」
と笹川と同じく東條を賞賛する。


・在日イギリス代表部のガスコインは、本国のベヴィン外相に、
キーナンの東條尋問は失敗であったと報告している。
「主席検事キーナンの尋問は、最初からまごついていた。
東條がキーナンを軽蔑しているのは、誰の目からも明らかだった。
東條は日本の自衛を強調し、
戦争を犯罪として裁くことに真っ向から反対した。
東條は日本人の尊厳を取り戻した」


・東京裁判を把握するうえで最初に理解すべきは、
木を見て森をみずとならないように、
東京裁判全体の流れを理解することである。
4万8000ページの記録の細かなことを知ることも
必要かもしれないが、その前に裁判全体の流れを知ることが大切なのである。


・判決の多数意見に対する反対意見が出されている。
そのため、裁判記録はあまりにも膨大であり、
その全容を把握するには気の遠くなるような作業が必要となる。
筆者は仕事柄、全10巻の東京裁判速記録を通読している。


・結局のところ日本が共同謀議によって侵略戦争や
残虐行為を行ったという検察側の主張と、
日本の戦争は自衛の戦争であり、
共同謀議や組織的な残虐行為などなかったという、
弁護側の意見の対立なのである。


・清貧のダンディズム、清瀬一郎弁護人。
東條にとって幸運だったことは、清瀬一郎との出会いである。
清瀬は、東條の弁護を引き受けようと申し出る弁護人がなかなか現れないため、
陸軍省からの要請もあり、最終的に東條の弁護人となる。


・東條は、次のように明快に述べている。
「自分には法廷で述べたいことが3つある。
一つは、大東亜戦争は自衛のための戦争であったこと。
二つは、日本の天皇陛下には、戦争についての責任がないということ。
三つは、大東亜戦争は東洋民族解放のための戦争であったということである」


・清瀬は日本人弁護団副団長、東條の主任弁護人として活躍する。
当時、すでに60歳を過ぎ、
白髪を無造作にうしろに撫でつけた小柄な外見である。
しかし、裁判にあける清瀬はこの枯淡とした外見とは別人のように、
東京裁判の矛盾を次々と明らかにしている。
この清瀬の功績は、
今なお日本人として共有すべき貴重な財産といえよう。


・嶋田海軍大将の補佐弁護人であった瀧川政次郎は、
清瀬の活躍を法廷で眺め、
「清瀬弁護人の冒頭陳述は、
まことに名優松本幸四郎の弁慶が安宅の関で勧進帳を読み上げたようなもので、
東京裁判のもっとも華やかな一場面であった」
と清瀬の法廷での陳述を「弁慶の勧進帳」のようだった手放しで褒めている。


・東京裁判当時の清瀬の生活は、
極端な貧乏生活であった。
清瀬は長い裁判の日々を古びて擦り切れた背広と、
古い大きな兵隊靴で市ヶ谷法廷に通い続けた。


・当時の清瀬の写真を見ると、擦り切れた背広の襟から、
内布がはみ出している。
しかし、どこか遠くを見つめるその姿には、
凛とした男の生き様があふれている。
貧しさのなかにも明らかにダンディズムがあることを確信させられる。
白洲次郎が英国流のダンディズムであるなら、
清瀬は日本流のダンディズムといえよう。


・死をためらうことなく受け入れる国民服の東條、
擦り切れた背広の清瀬、
すでに戦争は過去のものとなった日本で、
2人は東京裁判という徹底的に不利な戦場で新たな戦いを続けるのである。
二人の写真や映像には、
自分ではなく誰かのために生きるという日本人としての男の生き様、
時代を超えたダンディズムがある。


・東條証言の翌日、イギリス駐日代表部長ガスコインはマッカーサーに、
「東條の証言は、キーナンに完全に勝っています。
東京裁判に対する世論が心配です」
と伝える。

「その通り。極めて心配である」
東條はキーナンだけでなく、マッカーサーさえも窮地に追いやってしまったのである。
東條を追い詰めようとするキーナンの姿は、
法廷にいるすべての人の目に東條の引き立て役、単なる脇役と映った。
キーナンが焦るほどに東條は悠然と答弁し、
死を覚悟した東條は神々しく輝いていた。


・東京裁判の7人の死刑囚に立ち会った花山信勝教誨師は、
死刑のときの受刑者たちの安らかな心を、
後年、教え子たちに次のように語っている。

「死を与えられたとしても、最期の瞬間まで、命を惜しんで、
与えられた限りの時間を利用して、いうべきことをいい、
書くべきことを書いて、そして大往生をとげることこそ、
すなわち永遠に生きる道である」


・また花山は、巣鴨での最初の法話で次のように説いている。
「人生は、順境だけで終わった人が幸福というわけではない。
逆境に落ちてはじめて、
人生の真の意義をつかんだ人のほうがどれほど幸福か知れぬ。
人生は有限であるが、
未来は無限である。
無限の未来のために、
有限の一生を有意義ならしめることこそ大切である」



※コメント
歴史とは、不思議なものだ。
いろいろな視点があり、簡単に決め付けることはできない。
よくよく検証する必要がある。


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