◆加藤嘉一『たった独りの外交録』を読みとく



加藤氏は、2003年、高校卒業後に単身で北京大学に留学。
同大学国際関係学院の修士課程修了。
日本語、中国語、英語の3ヶ国語で書くコラムニスト。
現在、ジョンズホプキンス大学高等国際問題研究大学院客員研究員。


※要旨


・わたしは「三無状態」で中国に向かった。

言葉が話せない、お金を持たない、誰も知らない。


・草の根コミュニケーションで学んだ中国語。
三無状態からのスタートでサバイバルを展開するために、
僕に残された道は「中国語を徹底的に鍛え上げること」を通じて、
それを武器にすることだけだった。


・留学直後、SARSという伝染病で北京は大混乱だった。
大学もほとんど休講になった。

「ラッキー」
僕は直感でそう思った。
ほとんどの日本人は帰国してしまったから、
中国語漬けの生活にするにはもってこいの環境が自然に出来上がった。


・僕が中国語学習を始めて最初の3ヶ月という時期の
一日のスケジュールを公開したい。
SARSが流行っていたので、毎日同じ生活をしていた。


朝5時:起床。

5時半:ランニング。

6時半:シャワーを浴びながら、一日の過ごし方をイメージ。

7時:朝食後、中国語の問題集をやる。

10時:外出、北京大西門のアイス屋のおばちゃんと雑談。
おばちゃんからいろんな言い回しを教わる。

12時半:ランチ、そして中国語の本を読む。

14時:おばちゃんの元に何気なく、自然体で戻る。雑談再開。

17時:北京大学に「人民日報」を取りに行く。
仲良くなった管理人さんと1時間ほど雑談。

18時:夕食をとりながら、と人民日報とにらめっこ。

20時:辞書と格闘。

23時:ラジオを聴きながら、寝る。



・僕にはとにかくお金がなかった。
だから。お金をかけないで中国語を習得する方法を考えなければならなかった。


・一貫して取った戦法は、
「現地住民との草の根コミュニケーションをとことんこなす」こと。



・ラジオと辞書。
この2つは僕にとってもっとも思い入れの強い「語学の枕」だ。


・ラジオも、まじめに聞いていたわけではなく、聞き流していた。


・アイス売りのおばちゃんと毎日5時間くらい話すわけだから、
ネタ切れになるのが常態だった。
何を話そうか、話すべきか僕なりに頭を抱えたこともあったが、
幸いおばちゃんが話のプロで、
これでもかこれでもかというくらい話題が出てきて、
ネタに不自由することはそれほどなかった。


・大きな決断をする時ほど、根拠なんてないものだ。


・ちなみに、北京大学の学生は本当によく勉強する。
優秀で、頭が切れる。
期末試験の際には、教科書を丸暗記するのは当たり前。
参考文献の内容を完璧に頭に入れるなっていうのは常識だった。


・北京大学の学生たちはとにかく英語学習に死ぬ気で取り組んでいた。
卒業後欧米に留学して、
成長のための門戸を切り拓くことがミッションのようであった。


・実際、中国人たちは欧米や日本を含めた自由民主主義社会で生きる市民と同じくらい、
いや、ある意味それ以上にメディアリテラシーを備えていた。
情報収集に対しても貪欲で、独自ルートで情報を集めては、
独自のチャンネルでクロスチェックも怠らない。
性悪説な社会でサバイバルを展開する中国人は、
インテリジェンスとネットワーキング力に長けているというのが僕の基本的な見方である。


※コメント
加藤氏の勉強法は、いろいろなところに応用がきく。
お金がなくても、工夫することで道は開けるようだ。


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