◆島田久仁彦『国際調停の修羅場から:交渉プロフェッショナル』を読み解く




※要旨


・わたしの仕事は「国際ネゴシエイター」。
ひと言でいえば「国際交渉・国際調停の請負人」
ということになる。


・ときには国連の紛争調停官として、
ときには国際会議の議長として、
揉め事のあるところなら世界中どこへでも出かけて行く。
そして利害を争っているグループや国の間に立って仲裁をし、
個別のステークホルダーと交渉しながら、
最善の解をまとめ上げることが主な職務だ。


・世界の問題解決は、交渉力にかかっている。
「戦争をなくそう」「環境を守ろう」
国際会議で論じられるこうした人類共通の課題に、
表立ってNOを唱える国はない。
しかし、ご想像のとおり、その水面下では
自国の権益をかけた激しい攻防が繰り広げられる。


・シビアな交渉の現場では、広汎な知識と洞察力、
各国の動向を探る取材力、相手のガード解くをコミュニケーション力、
時間内に議事をまとめるマネジメント力、
バランス感覚、そしてここ一番で大勝負を張れる決断力と胆力など、
さまざまな能力が要求される。
有用な情報を効率的に入手する質の高いネットワークも必須だ。


・交渉の極意は「戦わない」こと。
精神的にも身体的にもハードな現場を渡り歩き、
思い出すと今でも眠れなくなるような手痛い失敗もして、
ようやく私が学んだのは、
「交渉においては勝つことを目標にしてはいけない」
ということ。


・わたしは国連で、運命の人間と出会うことになる。
のちに私のメンターとなるセルジオ・デメロだ。
1948年、ブラジル生まれの彼は、
パリのソルボンヌ大学で哲学を専攻したあと、
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に入った。
その後、彼は様々な紛争地を渡り歩き、
停戦協定や和解、復興支援のスペシャリストとして、
常人離れした外交力を発揮した。
まさに人道支援界、紛争調停界のスーパーマンであった。


・セルジオのもとで、私は実地で紛争調停のイロハを学んだ。
彼のアシスタントとして、事実関係の確認や、
当事者に関する情報収集、交渉場面での記録などを担当、
とにかく彼の行くところはどこにでも一緒に連れて行かれた。


・彼からアドバイスされたことがある。
「『ごめんなさい』『お願いします』と人に頭を下げることは、
どっちもタダだ。
それでその場をしのげたり、得たい情報が得られたりするのなら、
これほどいいことはないじゃないか。
だから、無駄なプライドは捨てなさい」


・またこう続けた。
「ある分野で世界的な権威である専門家がいたとしよう。
彼らが30年かけて研究したり、
経験したりして身につけたことは、
たぶんお前も同じだけの時間をかけないと分からないだろう。
しかし頭を下げて『教えてください、お願いします』
と言ってみろ。
そうすれば、彼らが30年間苦労してやっとわかったことを、
30分で教えてくれる。
それもかなり分かりやすく」


・たしかに本物の専門家というのは、
どんなに複雑な内容でも、素人にもわかるように、
要点をかみ砕いて説明してくれる。
その分野について30分もみっちりレクチチャーしてもらえば、
経験や実感としてはわからなくても、
交渉するうえで必要な知識は一通り頭に入る。


・エレベーター・プレゼンテーションの際に
セルジオが言っていたのは、
「俺を真っ白な紙だと思って説明しろ」
ということだった。
つまり、予備知識ゼロの人間だと思って、
そんな人間にもわかるように説明しろ、
ということだ。


・「お前の説明の仕方いかんによって、
何百万という人たちの命に関わる決定が下されることもある。
だから、説明と情報は誰にでもわかるように、
過不足なく与えろ。
だだし、37秒で」
ということだった。


・報告すべき情報は、レターサイズの紙1枚(A4)、
それも表だけにまとめてくるようにセルジオは言いました。


・当時わたしが携わっていた安全保障分野の案件では、
担当する地域に関する歴史、地理、政治、経済に関する文献や、
当事者に関するネット記事などの公開情報から、
インタビュー記事など独自に入手したものまで、
膨大な量の情報が必要とされた。
1つの案件の全体像をつかむために集める情報は、
紙にして数千ページ規模にのぼる。
実際に分厚い資料をどっさとデスクの上に置かれ、
セルジオから
「これを全部読んで、一枚にまとめて」
と言われたこともある。


・私にとっては、何よりもセルジオの人柄、振る舞い方、
つまりセルジオの人となりそのものが最高の教材でした。
セルジオが帰ってきたという話を聞きつけて、
ジュネーブ中の国連機関の女性職員がほぼ全員、
彼を見に駆けつけるのだった。
彼は、職員一人ひとりに語りかけていた。
全員の名前を覚えていて、
さらにその人に関する何からしのストーリーも頭に入っていた。


・私がある調停に向け、オフィスから出発するときのこと。
出発直前まで、私はいつものようにニコニコしながら、
軽口をたたいていた。
オフィスにいるとき、
とくに深刻な案件を抱えているときには周囲にそれを
気遣わせないよう、極力明るく振る舞っていた。
時間がきて、私がオフィスのドアを開けて出て行ったまさにそのとき、
ある女性スタッフが、
「クニは気楽でいいよね。いつも冗談ばかり言って」
と言ったそうだ。
たまたまオフィスにいたセルジオがそれを耳にし、
彼女に対して「お前はわかっていない」
と強く叱責したらしいです。


・セルジオは、こう叱ったそうだ。

「あいつがなぜ、いつでもニコニコしているか知っているか。
そうでもしてないとやっていられないような、
きわめて深刻なケースにぶち当たっているからだ。
あいつはあの両肩に、
何百万という人の命を背負っているんだ。
そんなことも分からないのか。
あいつがクルッと君に背中を向けて歩き出した瞬間、
その顔から笑みが消えているはずだ。
目つきも変わっているはずだ。
覚えておきなさい、
あの背中は死地に赴く男の背中だ。
いまその目にあいつの姿をよく焼き付けておきなさい、
もしかすると2度と見ることができないかもしれないのだから」


・私の交渉・調停スタイルでまず特徴的なのは、
「ひたすら相手の話を聞く」
ということだ。


・現地人が話すように話す。
わたしが実践している言語習得法は、
現地の飲み屋やバーに行くことだ。
そこで一般の人々が交わす会話に耳を澄まして、
どういう言葉でしゃべっているかをじっと聴き取る。
それをリサーチして、交渉や調停に役立ている。


・最終の地図は自分達で描かせる。
紛争調停の最終局面で、最初にその地域の白地図を出す。
そこにはどんな境界線も引かれていない。
私の頭のなかには、その地域の地勢や資源などは全部入っている。
そして、私は適当に線を引き、
それを元に、当事者同士に線を引かせ、議論させる。


・「デメロ・マフィア」の一員となってから、
私の国連での仕事はほとんどが軍事安全保障問題に関わるものとなった。
そのおかげで、そこそこ長持ちする停戦合意案も作れるようになった。
「最後の調停官」と認めてくれる人たちも現れた。


・2003年、イラク戦争の戦後復興のため、
セルジオ・デメロが国連の事務総長特別代表として、
イラクに赴任した。
だが、バグダッドの国連本部で自爆テロが起き、
彼は帰らぬ人となった。


・交渉はフットワークの軽さが命。
交渉は会議室の中だけで行われているわけではない、
ということもあえて言っておきたい。


・国際交渉の場では、情報を制する者が交渉を制する。
また情報を持っていることで、
多種多様な問い合わせや急な要望にも、
迅速かつ的確に応えることができるので、
交渉官自身に対しての周りからの信頼もあがる。


・広く情報を集め、また顔と名前を覚えてもらうためには、
とにかくチャンスを見つけては外へ出ていくこと。
複数の利害が複雑に絡み合う国際交渉の場においては、
自分側のメンバーで内輪の議論をしているだけでは、
交渉は進まない。


・各国交渉官たちとの「飲みニケーション」は、
重要なインテリジェンス活動の一部だ。


・他国の交渉官とご飯を食べに行くとか、
ちょっとバーに行って一杯か2杯お酒を飲む。
ビールやワインを飲みながらの交渉は、
国際交渉の現場では少しも珍しいことではない。
日本でいうところの「飲みニケーション」は、
国際的にも存在するのだ。


・じつは私が一番得意としていることも、
この飲みニケーションを用いた情報収集と交渉だ。
楽しく飲んで、お互い打ち解けてきた頃合いを見計らって、
ポケットから「これなんだけど」と紙を出す。
その場にいるみんなでその紙を囲んで、
あれこれ議論し、内容をその場で書き込んでいく。


・そういう場では、
たいがい誰かがPCかタブレットを持っている。
議論の内容はその場で打ち込んでもらい、
居合わせた人々にメールで送ってもらう。
そして、各交渉官はその内容を、
自国の交渉団メンバーにも回して共有する。


・国際交渉の場では、このような流れで、
会議のゆくえを左右するような重要な事柄が決まることがしばしばある。
いわば、翌日からの公式の交渉の展開が、
前夜の「外」の場で、
各国の顔役によって決められているわけだ。


・ところが私の知る限り、
そういう場に日本人はほとんど参加していない。
なにをしているかというと、
作業室にこもって、粛々と完成度の高い報告書作りにいそしんでいる。
その間に、外では重要事項が決まりつつある。
翌日、議場で、
「あれ?昨日まで誰も言っていなかったことが
急に始まっている。どうしよう・・・」
とあわてふためく羽目に陥る。


・日本の緻密な作業や検討能力、
そして提案作成のクオリティは間違いなく世界のトップレベルなのだから、
そこに「外回り」の力、
突き詰めれば「アイデアを提案に反映する力」がつけば、
鬼に金棒となるのだ。


・私が仲間とともに「見えない外交」を実践するにあたり、
心の糧にしている言葉を紹介したい。

「ひとが何事言おうとも、神が見ている気を鎮め」

→いろいろなケースの調停を手がけてきた。
しかし、そのほとんどは、公に知られることはないし、
ましてやそれらを担当したのが私であることを知られることもない。
だが、「少しでも誰かの、世界のお役に立ちたい」
「不条理や悲しみから一人でも多くの人を解放したい」
という心で一生懸命その目的のために頑張り続けていれば、
たとえ人の目に触れることはなくても、
ときにいわれのない批判にさらされることになっても、
私がやってきたことの真実は、
きっと神様が見ていてくれると信じている。
その気持ちで、これからも私は、
仲間たちと共に歩んでいこうと思う。




※コメント
国際調停の面白く困難なエピソード満載である。
これらの修羅場交渉に比べれば、
国内の交渉は、なんとか乗り切れる。


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