◆高野澄『細川護煕家の謎。殿様宰相の処世法は歴史がつくった』を読み解く
※要旨
・細川氏が武士として成長したホームグランドは三河(愛知県)の細川である。
・細川家は管領として栄華を極める。
肥後熊本の大名細川家の祖先は足利幕府初代の管領の細川頼之の、その弟の頼有だ。
頼有からかぞえて9代が幽斎、25代が護貞、26代が護煕という順序である。
・細川藤孝(幽斎)、足利義昭を将軍に仕立てる。
・生まれた時から藤孝の身辺には学問の空気が満ちていた。
母の実家の清原家が公家だからというのではなく、清原家が学問の家柄だったからだ。
・学問や書物の話がかわせる。
こういう事実が発見された人間の関係には、いうにいわれぬ親近感が生まれるものだ。
まずは学問の愉悦を知っている共通の親しみ、
つぎには、その愉悦を知らぬものへの優越感覚。
・一族を救った「文化の血筋」。
古今伝授の資格。
細川藤孝には余人に真似られない資格があったのだ。
「古今伝授」である。
難解な歌、あるいは難解な部分に特別な解釈をほどこし、
それを秘伝としてつたえてゆくのが古今伝授だとおもえばいいようだ。
・藤孝は、博学多識の文化人。
・1632年、肥後熊本54万石が細川家にころがりこんできた。
豊前小倉は39万石だから15万石の加増である。
※コメント
細川藤孝は、卓越した文化人であると同時に、武将としても政治家としても秀でていた。
彼はやがて足利義昭を見限り、織田信長のつく。
信長との頻繁な手紙のやりとりも残っている。
マメな連絡を行い、気配りをしっかりする外交家としても手腕を発揮する。
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