◆江崎道朗・講演メモ『緒方竹虎と情報機関』について。
https://icckame.com/lp/58013/949152/
★要旨
・日本は戦争に負けて、
情報関連の法律を停止させられた。
今までの情報機関も解体させられた。
・中国の毛沢東政権は、建国後すぐにチベットへ侵攻。
周辺国への支配を拡大した。
日本にも革命を輸出して、日本の共産化を目指した。
・1950年、
ソ連の支援を受けた北朝鮮が韓国へ侵攻。
朝鮮戦争が始まった。
・朝鮮戦争のとき、
中国は、朝鮮半島から九州に侵攻して、
ソ連は北海道に侵攻しようとしていた。
同時に、日本国内で内乱を起こし、
日本に革命政権を作らせようとしていた。
・日本の治安を維持していた占領軍は、
ほぼ朝鮮戦争に行き、日本には軍事的空白ができた。
共産党や朝鮮総連は、武器を用意していた。
日本とマッカーサーはあわてて、警察予備隊をつくった。
・そのときの中国やソ連と、
日本国内の革命勢力のつながりに関する情報収集・分析能力が、
日本には無かった。
・情報がなければ、戦えない。
相手の手の内を知らなければ、戦えないのである。
・情報機関があって、軍隊は成り立つ。
・1952年、吉田内閣は官房調査費をつくった。
内閣情報調査室(内調)の前身である。
ここで、警察、警察予備隊、海保、米国からの情報を集約、分析することとなった。
・中国や北朝鮮に立ち向かうためには、軍事力だけでなく、
外交やインテリジェンスも必要である、
と吉田茂は、ジョン・ダレスに伝えている。
・吉田茂は、情報機関に関して、
緒方竹虎を頼りにしていた。
・緒方竹虎は、1952年、
衆議院議員に初当選して、1年生議員ながら
官房長官になった。
凄い、バケモノのような男である。
それだけの見識と人脈と後ろ盾があった。
・緒方は、インテリジェンス機関の再建のため、
政治家になった。
・情報機関にとって大切なのは、友好国との情報のやりとり。
自国だけで情報を運用すると、独善的になるので、
他国からの情報との多角的な分析が必要となる。
・自由主義国との情報のやり取りは、本当に重要なり。
・自分たちの都合の悪い情報もやり取りすることに意味があり、
そのほうが信頼される。
・情報のプロは、
自分たちに都合の悪い情報こそ、好む。
・情報に携わる者は、いくつもの分析を集めながら、
よりよい評価をしていく。
・民主政治の根幹として、
国内の事態の真相を国民や外国に伝える。
同時に、外国の真相を集め、国内に伝える情報機関を作りたい、
と吉田茂は唱えた。
・国内外の分析情報を国民に提示し、
皆さんに正しく理解してもらうことが大事。
それなくして、憲法改正も進まない、
というのが緒方竹虎の考えであった。
・緒方は、国民が自由を謳歌するためには、
お金が必要であり、そのために減税を訴えた。
それにより、国民生活が安定し、日本が強くなると考えた。
働けば豊かになり、日本の将来に信用が持ててこそ、
ソ連や中国に立ち向かうことができると、確信していた。
・緒方が急死して、自民党のなかで、
減税などによる自由主義、情報機関の設立、
アジア自由主義連合戦略などのプランは、
無くなってしまった。
そのような緒方ほどの世界的視野をもった人材がいなかった。
・このあと、彼のような世界的な視野をもった政治家は、
2人出てきた。
岸信介と安倍晋三である。
・国民の独立と気迫というものを取り戻し、
300年かかるといわれる戦後日本の再建を成し遂げてもらいたい。
自分の世代では成し遂げられないので、
若い皆さんは、死に物狂いで勉強してほしい、
と緒方竹虎は母校の修猷館の講演で訴えた。
・昭和天皇は、300年後も日本は続くと信じていた。
国民は300年かかっても、
国を再建すると昭和天皇は信じていた。
我々はその信頼に応えなければならない。
それこそ、日本人の志にしなければならない。
・みんな、誰かを批判したり、誰かをつぶしたりすれば、
日本は良くなると思っている。
そうではない。
日本を立て直すためにやることは、山ほどある。
・岸信介や安倍晋三を理解する人が増えたので、
日本の再建は、大きく進んだ。
・国民の見識を養っていくうえで、
どういう歴史観をもったらいいかということで、
緒方竹虎とインテリジェンスについての本を書いた。
★コメント
日本をどうするべきか。
あらためて、道筋が見えてきた。
◆江崎道朗さん
日本版CIA構想と緒方竹虎。動画セミナーの詳細は、こちら
↓
https://icckame.com/lp/58013/949152/
★