◆青柳恵介『風の男・白洲次郎』を読み解く


※要旨


・白洲次郎の祖父退蔵が神戸女学院の創設に関与し、
その敷地を学校に提供したこともあって、女学院の外人教師が白洲家に寄宿しており、
次郎はその外人教師から英語を習い、中学時代にすでに英語は堪能だった。


・次郎はケンブリッジ在学中に、ロビン・ビングと生涯にわたる友情を結ぶ。
ロビンは七世のストラッフォード伯爵の称号を持つ貴族であった。
正子夫人はロビンについて、
「彼は次郎とは正反対の、地味な人柄で、目立つことを極力さけていた。
ほんとうの意味でのスノビズムを、次郎はこの人から学んだと思う。
いや、すべての英国流の思想の源は、ロビンにあるといっても過言ではない。
身ごなしといい、教養といい、古きよき時代の英国紳士の典型といえよう」
と書いている。


・あるとき、私の友人は次郎氏から
「君に夫婦円満の秘訣を教えてやろうか」と話しかけられ、
是非お願いしますと耳をすましたら、
「一緒にいないことだよ」
と語ったという。


・次郎は80歳に達してからもポルシェを乗り回し、
とても市井の隠居なんて高級なものになり切れなかった。
鶴川にひっこんだのも、疎開のためとはいえ、実は英国式の教養の致すところで、
彼らはそういう種類の人間を「カントリー・ジェントルマン」と呼ぶ。
よく「田舎紳士」と訳されているが、そうではなく、地方に住んでいて、
中央の政治に目を光らせている。
遠くから眺めているために、渦中にある政治家には見えないことがよくわかる。
そして、いざ鎌倉という時は、中央へ出て行って、彼らの姿勢を正す。
ロビンもそういう種類の貴族の一人で、隠然たる力をたくわえていた。


・終戦連絡事務局に関係していた期間、白洲は一日4時間以上の睡眠をとったことがなく、
吉田が外相時代は外相官邸に、総理になってからは総理官邸にほとんど毎日起居した。


・白洲が東北電力会長時代、東京事務所の総務課長として白洲の下で仕事をしていた連山仁一郎や
連山のあとを継いだ松岡志郎に、白洲の仕事振りについて聞くと、
口をそろえて「激しかったの一語に尽きる」、
「とても会長の秘書などつとまる人はいない」
と語った。


・白洲はたびたび東北に出向いたが、旅費は一切自弁、
仙台の本社に顔を出すよりもダムの工事現場に姿を見せる方がはるかに多かった。
作業着を着こみ、ゴムの長靴を履いてランドローバーを運転し、
工事現場の人々と楽しそうに話し合っていた。


・白洲は現場を訪れるときには、
現場で働く家族のために必ずチョコレートやキャンディなどの土産を持参し、
夜は人夫たちと酒を飲み、その苦労話にしばしば涙を流した。


・秘書たちが今でも不思議だったと語るのは、
小さな子供がすぐに白洲になつくことだ。
白洲が聞き取りにくい言葉で一言二言話しかけるだけで、
田舎の人見知りをする子供も、じきに白洲の膝の上に乗ってしまう。


・白洲が晩年に至るまで、仲良く付き合っていた人に共通した性格があった。
私心のない人、大所高所に立って、自分の考えや行動すらも客観的に捉えられる人、
本当に愛情のある人。


※コメント
白洲さんの波瀾万丈の人生はおもしろい。
彼のような人は、敵も多いが味方も多い。
見習うところは多数ある。


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