◆竹村公太郎『日本史の謎は「地形」で解ける:文明・文化篇』を読み解く
竹村氏は、元建設官僚。
本書は、前作『日本史の謎は地形で解ける』の続編である。
※要旨
・6年間の大学生活を仙台で過ごした。
自分を翻弄するこの巨大な社会を少しでも知ろうと、多くの本を読み漁り、
仲間たちと議論を繰り返した。
しかし、そのたびにこの社会の広がりとつかみどころのなさを知り、
結局、自分の思考の限界と知識の欠如を思い知らされた。
・欧米人の欲望をそそらない日本列島。
欧米人の恐怖をかき立てる災害列島。
そして、騎馬軍団の力が発揮できない地形の日本列島。
この日本列島の気象や地形の自然が、や、
欧米列島から日本を守ったのであった。
・地形が支えた江戸の封建社会。
江戸の封建社会の形成と継続は、江戸幕府による参勤交代やお手伝普請や、
藩の移封や藩の取り潰しなどの政治的、社会的側面で論じられる。
しかし、それ以上に幕府は巧妙な工夫をこらしていた。
・江戸幕府は、日本列島の地形を利用したのだ。
山々と海と川で分断された地形に即して、各大名の領地を配分した。
領地はうまく流域で分けられていたので、領地を開発しても隣国と衝突することはなかった。
・鉄道の衝撃。
江戸の封建社会を支えた分断されていた地形の日本列島は、
明治時代になり鉄道によって貫かれ1つに結ばれてしまった。
この鉄道の出現によって、全国の人々は自分たちを地方に封じ込める時代は終わったことを悟った。
地方に封じられていた時代から、国民の力を東京へ集中させる時代の到来を肌で感じ取った。
・徳川家康の鷹狩は有名である。
生涯に1000回以上は行ったと伝わっている。
駿府に隠居してからは単なる娯楽だったのだろうが、
それ以前の鷹狩は間違いなく「地形調査」であった。
・戦国は兵士達がぶつかり合う白兵戦である。
そこでは有利な地形を確保するのが絶対的条件であった。
幼い頃から戦いに明け暮れていた家康は、事前の地形調査の重要性を熟知していた。
・1590年、豊臣秀吉は家康を駿府から関東へ転封させた。
家康の家臣団は、この秀吉の仕打ちに激高した。
時は天下分け目の関ヶ原の戦いの10年前、豊臣家との戦いは迫っていた。
家康は荒れ果てた江戸城の修復もせず、関ヶ原の戦いまで江戸を空けて鷹狩に出かけていた。
・家康は現場を歩き、地形を観察し尽くしていた。
家康は日本史上最高級のフィールド・ワーカーであった。
かつて土木現場の山々を歩いた私はこの一点で家康を尊敬している。
・1600年、徳川家康は関が原の戦いに勝った。
しかし征夷大将軍に任命されると、さっさと権力の中枢・関西を離れ、江戸という田舎に戻ってしまった。
家康は関西の限界を見ていた。
関西の限界と関東の可能性とは「エネルギー」であった。
・近代化以前、日本文明のエネルギーは一貫して森林であった。
その森林エネルギーで関西はすでに限界にあった。
関西の森林は崩壊していたのだ。
・江戸幕府のエネルギー戦略。
関西の森林の崩壊と衰退を見ていた徳川家康は、
日本列島全土のエネルギー覇権の戦略を立てた。
・利根川と荒川の関東は、徳川幕府が自ら押さえた。
中部の木曽川は尾張徳川家が押さえ、近畿の紀ノ川は紀州徳川家が押さえ、
北関東の那珂川は水戸徳川家が押さえた。
さらに徳川幕府は全国の主要な山林地帯を天領とした。
・国旗はその国のもっとも大切な象徴である。
人々の国へのアイディンティティの視覚的な象徴である。
国旗にはその国が存続してきた大切な意味が隠されているはずだ。
・あくまでその土地の気象が、人々の性格や生活様式を支配している。
人間が自分たちの力で成し遂げたと思っていることも、実はその土地の自然条件がその人々にそうさせていた。
・ニクソン大統領時代の国務長官だったキッシンジャーの
「その国を知りたければ、その国の気象と地理を学ばなければならない」という発言はけだし名言である。
・気象と地理への理解こそ文明を解き明かす鍵となる。
日本の国旗は太陽だけのデザインである。
この国旗は日本文明が拠ってきたあり様を見事に象徴している。
※コメント
竹村氏の独自の経験と知識からくる筆致は、魅力的だ。
独特の切り口は、普通の地理歴史好きの方々の心をつかんでいる。
彼の本をさかのぼって乱読したい。
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